2024年11月3日 18:00、20才の老猫(よんよん)が旅立った。
多分10年前の写真です。この頃は若かったな。
(以下、老猫のことをよんよんと呼ぶ)
数日間、よんよんと一緒に寝ていた自分は、彼が息を引き取る直前まで側にいた。
よんよんが亡くなる前に、突然夢の中から目を覚ましたような顔でこちらを見つめ、床に降りようとした。自分はよんよんを抱き上げてリビングに運び、そこにある猫用ケージの隣に置いた。
置いた瞬間、よんよんは何かを思い出したかのように前に這い出し、水を飲みに行った。
まるで最後の一口の水を飲むかのような姿だった。
午後4時過ぎ、よんよんがリビングにいないことに気付き、浴室に行くと、よんよんがそこでおしっこをしているところを目撃した。どうやらどうしてもペットシーツでおしっこしたくないみたいだった。わざわざ浴室まで這い上がっていくよんよんの姿を見ると、少し辛くなった、というより、感動した。本当に賢い猫だったな……(あと猫としてのプライドがちょっと高すぎない?)って思いながら、彼を抱き上げて再びリビングに戻った。手足と胸が濡れていたから、そこで濡れた部分を毛布を拭きながら、ブラシで毛を整えてあげた。
5時過ぎ、6時近くになって、よんよんが変な姿で息をするのを見て、ああ、もうすぐ死ぬかもしれないな……って悟った。よんよんの頭を優しく撫でながら、ずっと話しかけて続けてみた。最後の息を吐くまでずっと傍にいた。すると、よんよんの呼吸は徐々に停止し、肉球までどんどん冷たくなって、体全体の呼吸も止まった。
そして、よんよんは死を迎えた。
享年20才。
猫は死後筋肉が収縮できないので、結局よんよんは目を開けたまま亡くなった(ものすごくシュールな顔をしていた)猫の体構造について調べた結果、これは普通のことだと事前からすでにわかったので、よんよんの死に様に悲しみは感じなかった。
よんよんが亡くなった瞬間、「あ!そうだ!葬儀社が来るまで遺体を保存しなきゃいけないんだ!」と思って、すぐにクーラーと除湿機のスイッチをオンにした。16℃以下の空間がすごく寒くて寒くて、たまらなかった。
「猫の死後硬直は短い場合で1時間、長くても3時間程度で始まる」ということだったらしいけど、死後20分くらいすぐ死後硬直したので、恐らく猫の体質によると思う(あと環境の湿度かな?)「お前ちょっと冷静すぎないか?大丈夫?」って同居人にツッコまれながら、なんとかエンゼルケアを終わらせた。泣く暇すら許されないくらい大変だった。
エンゼルケアをしっかりやって、よんよんの体を綺麗にした。
超頑張ったので褒めてほしい。
死後硬直が始まる前にエンゼルケアをやらなければいけないので、なんとか20分以内終わらせた。結果から言えば、初めてにしてはよくできました、と思う……が、死後姿勢を整えることができなかったのは、悔しくて悔しくて仕方ない。(死後硬直が思ったより進行が早いので、姿勢を整えることができなかった……)
夜10時頃、葬儀社が来て、よんよんと最後の別れをした後、家に帰った。
火葬と告別式は別の日にした。
現場からの報告は以上です。
宗教色がちょっと強い話でもしようかな。
僕はキリスト教家庭から生まれた人間なんです。とても伝統的で、本物のクリスチャンの家庭で育った子供だった。僕の人生は大体30%くらい、宗教の世界にいたと思う。(その影響で結構世間知らずに育ってきた、と思う)
そして20年間の人生(約70%)は、ずっとよんよんと一緒に生きてきたので、よんよんは人間じゃなくても、間違いなく家族代わりのような存在だった。以前の文章を読んだことがある人ならすぐ分かると思うけど、僕の両親はすでに他界しているから、この数年間はずっと猫たちと一緒に暮らしていた。去年まではずっと猫×孤独な人生ライフを味わってきた。
だから、よんよんの存在は、恐らく両親の存在を超える何かだった。
そして、そのような存在が、結局なにも残せず、誰もいなくなった。
その事実を確認した瞬間は、すごく虚しかったし、寂しかった。
よんよんとの20年間は長くもあり、でもすごく短く感じる。
生まれつきの宗教意識がどうしても拭かずにそこに存在しているなら、それを利用して、家族らしく小さなお葬式をやろうと思った。まあ、参加者は僕と同居人しかいないけれどね。